雲黒斎さんのブログに『思考と感情』についてのこんな記事がありました。
感情も、思考と同様。
これもまた時間と空間を超えている。
この「時空間を超えている」という事を
「この世」的に言い換えれば…
思考も感情も「誰のもの」と言えない状態で
絶えず空間全体に漂っている、といった感じだ。
思考エネルギーと感情エネルギーは、とても仲良し。
思考エネルギーは感情エネルギーを求め、感情エネルギーは思考エネルギーを求め、一つになろうとする』
思考や感情と、しっかり向き合ってごらん。
何が起きているのか、冷静に観察してごらん。
そうすれば、きっとこのシンプルな仕組みが見えてくる。
なにも難しいことはないよ。
例えばね…
「何かイライラする」という怒りのチューニングに合っている時。
「アイツのせいだ」
「体調のせいだ」
「この出来事のせいだ」と
無自覚に、その「イライラの原因・理由」を探してしまわないだろうか?
思考と感情が結びつくと
「記憶」としての形を長く維持するようになる。
だからある思考が、特定の感情を呼び
逆に、ある感情が、特定の思考を呼び戻すことが生じる。
これはある種の「共振・共鳴」現象に近い。
思考も感情も、「音」と同じように、黙っていれば自ずと消えていく。
打ち鳴らした鐘も、打つことを止めれば、その音も静寂の中へ還っていくだろう?
でも「理由(思考)」が働くことにより、感情は消えることなく継続する。
絶えずイライラしている時の自分を省みてご覧。
ただイライラしているわけではなく
頭の中でイライラの理由(思考)を反復している事に気がつくだろう。
理由を思い出し、イライラを呼び覚まし
そのイライラが理由(思考)というストーリーを紡ぎ、そのストーリーがまたイライラを増幅させる。
この絶え間ない共振・共鳴現象が
「忘れたくても忘れられない」
「手放したくても手放せない」という「執着」になる。
しかし、思考も感情も
黙っていれば音のように消えていく。
「共振・共鳴」(思考や感情の鐘を打つこと)を続けなければいいだけだ。
その為にはまず、一つになった思考と感情を解体することだ。
思考は思考、感情は感情。
これ読んで、私は思わず唸りました(-ω-;)