私のスピリチュアル体験記

人生悩んだときに私がトライした占い&スピリチュアル体験のお話し

降参のススメ

以前、ご紹介したことある『降参のススメ』

阿部さんと雲黒斎さんの講演会『阿雲の呼吸』を文字におこした本です。

改めて読み直すと、ホント分かります。

やはり津留さんでストーンと腑に落ちたから

本を読むと、同じことを伝えてたんだと

シミジミしております(≧∀≦)

良いとこどりで、5回に分けて本をご紹介🎶

降参のススメ

降参のススメ

 


人には常に「自分じゃないもの」に対し

「いいな」って思う傾向があるんです。
僕は、それまでかたくなに握りしめていた自分本位の全く形のないプライド
都合よく解釈していた世界観や自分観 、それらが根底からガラガラと音をたてて壊れちゃった。
その時「自分は何も特別な存在じゃない。特別な人間になろうと競争しなくてもいいんだ」と いう当たり前のことに、ようやく気付きました。
そのことが僕にとっては、とても開放的な出来事だったんです。

ホントは「ひとつ」なんですよ、全ては。 そのひとつのところに「自分」という意識が、フィルターのように目の前に立ちはだかっていて それが「自分」と「世界」を分けているんです。

だから「自分」が消えると、「世界」も消えるんです。 そして、いわゆる「大いなるひとつのもの」になる。
そのことを、昔から人は「目覚め」と呼んできたんだなと。

「そこへの経緯・開き方」は、人それぞれ違うので、他者の人生経験をなぞっても全く意味がない。
しかし、そこに至る経緯に違いはあっても「その背景にある仕組み」は同じ。  それは「思い込みの崩壊」

それまで僕は「自分の命がある」と思っていた、つまり「命」が僕の「所有物」だった。
で「死ぬ」とは、僕がその命を失うことだと漠然と思っていました。
でも「自分がなくなる」という次元にいくと、「自分が命だ」という自覚がありありとあるんです。
だから、今までの感覚と真逆になっていく。 「僕の命」じゃなく「僕が命」だから命を失う対象がないんです。

殆どの人の人生観というのは、「過去」があり「いま」があり「未来」があると。
そして、過去から今まで生きてきたこの流れを「人生」と呼んでいます。
常に「いまここ」に流れ続けている永遠の命があり「それ」が自分で、肉体が朽ちようと関係なく
ずっと「いまここ」に、あり続けているもの。
それが自分で、自分だけでなく
全てのものを創り出していた。

「個別の命が一人の肉体に宿っている」のではなく、「でっかい命の中に、沢山の肉体がある」って感じ。
万物を動かしている唯一無二の命があって、それをみんなで共有してる。
神は「命そのもの」で「存在のすべて」でした。