私のスピリチュアル体験記

人生悩んだときに私がトライした占い&スピリチュアル体験のお話し

罪悪感②

久々にかめさんのメルマガご紹介。

『罪悪感』を『愛から発生』と考えると

何と、罪悪感の愛しいことか…💓

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★今日のフォーカスチェンジ♪
 
すべては、愛でつながっていました。
 
ひとは誰でも、自分の好きな人と

繫がっていたい。

それが何らかの理由でできないとき。
あるいは、
意に反して、幸せではない状況を
つくりだしてしまったとき。
 
ひとは、罪悪感をおぼえます。
 
ね。
 
罪悪感ってね、「愛」のない
ところには、生まれないんです。
罪悪感は、愛の裏返しといっても、
過言ではないんです。

だとしたら、罪悪感にしばられ
たり、ふりまわされたりして、
無用な距離をおいてしまったり、
良好なコミュニケーションが、
とれなくなってしまうのは、
 
もったいないですね。
 
今日は、よかったら、自分に
問いかけてみてください。
その罪悪感は、
どこからきているだろうかと。
 
そこに、自分の思いこみや
かんちがいが、かくされて
いなかったろうかと。
 
私の例を、ひとつ書きます。
母は、よくはたらくひとでした
そんな母にたいして、私は、
何もできないどころか、
好き勝手なことをして、こころに
負担をかけているのではないかと、
罪悪感をもっていました。
 
いえ、謙遜ではなく、
何をやらかすかわからない、
トンデモな子どもでしたから!
実際、母にも、あきれられたり、
心配をかけたことも、事実です。
 
けれども、このメルマガの
5周年記念パーティーをひらいた時のことです。
両親をまねいて、あいさつを
してもらったのですが、
母の言葉に、どきんとしました。
 
100人近い人が集まったその場で、母は、
「娘のことを、こんなにも
 沢山の人がかわいがってくれているのが、うれしい」
と、そう言ったのです。
 
その瞬間に、気がつきました。
私は、長年、自分のことを、
母の気持ちに添えない、親不孝な子どもだと思っていました。
けれども、母の本当の望みは、
母が期待するような子どもに、
なることではありませんでした。


ただただ、
私が幸せでいてくれること。
そのために、あれこれこまかな
ことを、言っていただけなのです。
私は、その本質を見ずに、そのこまかな部分に反応してしまい
勝手に、罪悪感をおぼえて、母と心理的な距離をとってしまっていただけなのです。
 
ふりかえってみれば、20代のなかば、
人生の方向が見えなくなって、
途方に暮れていたとき、
「何も言わずに帰っておいで。
 親はそのためにいるんだから」
と言ってくれたのも、母でした。
 
そのことばが、
どれほどありがたかったか。
でも、そのときは、自分の気持ちで手いっぱいで、母の愛を、まっすぐに受け止め
ることができなかったのです。
 
すべては、
愛でつながっていました。
愛には、ただ、愛を返せばいいだけだったのです。