「私はイヤだ」
と友人が言う。その友人とは38年前、入社した会社の先輩。
チャーミングで舌っ足らずで語る毒舌は憎めない。
遠い鳥取県に住んでるので、年に一二度の電話は長電話。昨夜は3時間( ̄∇ ̄)
まぁ、色んな心の話しやお互いの家族のドロドロ話も知ってる仲。
私は、この世界は“いのち”が創り出している世界。私という『個』はそもそも存在せず、私はアバターなんだ。
だから「私が〇〇してしまった」と後悔する必要ナシ👊
起こることが、ただ起きているだけという阿部敏郎さんの説が好き💓
でも友人は、「そんなのイヤだ。私が頑張ってやっている」ってのが好きと言う。
でもね、昨夜の彼女は頑張ってイロイロやって、そして力み過ぎて疲れてる(笑)
本人も人に対し、言葉が過ぎて反省するのよと。
なんだ、昔の私じゃないか(爆笑)(^_^)
いいんじゃない。どちらが正しいではなく、どちらが心地よいか。
判断基準は自分にとって“心地よさ”で選べばいいのだから。