55才ともなると、充分に『自らの死』が近くにあります。
死に関して、佐藤愛子さんがこう表現してました。
かつて、老いは自然にやってくるものだった。春がきて花が咲き、やがて実を結び
そうしていつか葉を落として枯れ朽ちて、土にもどるように、自然の廻りに従って人は老いに入っていった。
特別に身構えも覚悟もいらなかった。
それが人間の自然であるということを、誰もが一様に知っていて、それに従った。
長寿がめでたいのは、長く生きたことによって事前に枯木になって死んでいけるからであろう。
エネルギーが涸れれば、執着も自我も恨みも妬みも、そして死への恐れも枯れていく。
我々は長命を与えられた。
それでいて、なかなか枯れない。
死は悪であるかのように拒否されている。
近づく死を近代科学は、総力をあげて押し返す。
その力に頼り、すがることによって我々はしたと対峙するのとを回避し、引き延ばす。
しかしそれでも、死はやはりやってくるのだ。
私って『死』が好きなんだわ(*´∀`*)ノ💓